終活のこと

■教善の思う終活は

世に終活という言葉が使われるようになってきましたが、違和感を覚えます。何でもかんでも目の前の物を処分する単純思考にしか思えません。
人生の秋を迎え、活動範囲を小さく縮めた時、年齢に合わせて思い出を大事にする、そして心豊かな時を大切にすることだと思います。例えば、若い時から撮りためた写真は、それぞれ大切な物ですが、代表的な写真にまとめ直し、若い時からの思い出を振り返り、人生を反芻し、最後には1冊のアルバム帳にまとめ、次の世代に残せればよいように思います。
衣類・食器なども 生活範囲が小さくなるのに伴い、何度かに渡って縮小しながら生活の質を維持することだと思います。
私は青春期からの手紙・年賀状をほぼ全部、年別に分類・保管しています。その年の大きな出来事や、大事な書簡をファイルの前面に記載し、再度読めるように分類しています。整理し直すとき、読み直してみて、当時を思い出し、心豊かな気分になりました。
終活として手紙の処分を始める時は、全部を一斉に処分するのではなく、特に大事なものを抜き出し、再度読み直し、人生を反芻できるように保管することです。
書籍も大量に保管していますが、何度でも読み直したいものを取捨選択することが、人生の秋を心地よく過ごす心掛けかと思います。
人生の戦線を、本人の気力・体力・状況に合わせて、上手に縮小することです。

 

■供養と家族のあり方

家族があり、その中で年を重ね、やがて寿命を迎えます。共に過ごし、豊かな年月を重ねた家族は、故人の見送りをした後も、やさしく心を寄せるものです。
それが人として、自然に湧き上がる心情です。
最近、終活という言葉があふれていますが、本来の意味は、老齢になり自身の生きた道を思い起こし、人生を味わいながら身の回りを整理し、無駄なものを処分することです。例えば、若い頃からの写真を見直し、本当に思い出の大切な写真を手元にまとめ直して、必要でない大多数を処分することです。大切な写真を見返し、晩年の貴重な時を心豊かに過ごそうということです。
人生を振り返り、良いことを堪能することも公開することもなく「何でもかんでも捨てる」は、その人の歩んで来た人生を軽んじる行為です。高齢となり、歩んで来た自身の人生を振り返り、咀嚼(そしゃく)することは晩年の大きな喜びだと思います。マスコミや、世の風潮に踊らされ、大切なものを軽んじてはいけません。
供養の場として、お墓・仏壇などがありますが、「次世代にしっかり優しい気持ちと共につなぐこと」が大切です。上品に生きる心持を形にするものが、大切なことだと思います。
ITの発達・スマートフォンの普及などで、人と人とのつながりが薄れ、おざなりとなり、地域とのつながりが希薄となり、家族の関係も薄くなることは残念なことです。
家族・地域での交流は、何も目先の利益にはなりそうにもありませんが、地域の交流は日常生活で心を豊かに、家族の交流は心身を愛に包まれます。大病になった時にも心の支えとなります。大病で奇跡的に助かる方、心安らかに亡くなられる方は、概ね家族・知人の愛に包まれているように思えます。周りに愛をもって接する心は「利他の心」と言いますが、利他の心は強く自身を守ってくれます。「他人に興味のない、自分だけが大切」の自分本位の考えは、良き友人を失い心寂しい人生になりましょう。上品な良い供養の形は、良い心持を表しているように思えます。

 

医療・介護について

医療は日進月歩で進化しています。生命の危機時は、自身や身近の者に最善の医療を受けさせたいと思うのが真情です。
しかし、すべての医療が同じ水準ではありません。
身近な者に対する熱意が、しっかりとした情報に対する接触の可能性を高めます。しっかりとした医療情報を持つ方と、接点を持つべきです。
私は、医療関係者に事あるごとに助言を求めています。

介護でも同様、身近な者がいかに心地よく過ごしていけるか、真剣に考え、情報を集める努力が肝心です。
すべての業界に、誠実な者・自分の個人的利益にしか興味のない者、両極端が存在します。

 

運の良くなる供養の話

笠岡の正統稲荷、中嶋様の指導を受けました。
墓でも家でも、右側が上座、後ろが上座。
自宅に住む場所・間取りで、その人の運がだんだん変わってくると指導を受け、40年色々と人の世を見てきました。いい運の家に住まうと、だんだん順調の風が吹くようです。
先祖供養の形であるお墓も同様で、大事にお祀りして、上座・下座を間違えなければ、だんだん良い運を頂けるようです。
それぞれの家族の歴史で、応用編が必要になり、当家のよい運を引き出すようにしっかり助言できればと考えています。

 

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